思春期の理解

子どもが中高生期に入ると親から独立する自己確立の時代です。自我の分裂が行なわれ、見る自分と見られる自分がわかるようになると、理想にあこがれ、自尊心が強くくなり、自尊感情を持つようになります。心理的離乳期(親から離れて自分の見方、考え方をしたい)と言われ自己主張が強くなり、親への依存から独立の動きがでてきます。小学校時代は自分の能力ということについてはそれほど関心はないけど、中学生になると、急にこのことが気になり出し、親や先生、友人に認めてもらいたいと思う心が強くなり、子どもは早く大人になりたいと願うようになってきます。したがって子ども扱いされると非常に不満を持つようにりますが、親はいつまでも子どもだと思って同じ態度で接するから、子どもに反抗的態度をとられてしまいます。
 
例えば「僕が出かけようとすると、母は決まって『ハンカチは持ちましたか』という。僕
は子ども扱いされて非常にしゃくにさわる。そして僕が少しでも反抗しようものなら『お前はこの頃、なまいきになった』という。『ほっといてくれよ』と叫びたくなる。
 
このようなシチュエーション、中学生をおもちの親御さんなら経験は一度や二度ではないでしょう^^;
 
このような反抗は虚勢的なものであって、心の荒れとなってぶつかってきたり、くってかかってきたりします。こんな時は、この行動を真正面からしっかりと受け止めてくれる人が必要であり、子どもの心を理解してあげることが必要です。
この受け皿の役割を果すの力襯の役割であり、父親の理解ある態度だと思います。
人間の評価を知的能力の有無や、成績の良否で判断する昨今のように、出来ない子どもを無視したり、落ちこぼれとして切り捨てたりすると、自尊心を傷つけられた子ども達は、その弱みを見せまいとして虚勢を張り「つっぱり」の態度を強く示してきます。それに対して大人たちは、追い討ちをかけるように、この「つっぱり」を指弾しますので、ますます激しく荒れに荒れてエスカレートし、爆発していってしまいます。
時折社会問題になる暴力行為や、暴走行為もこのタイプの典型です。非行少年と呼ばれる人は、この反抗期をうまく過ごさなかったことから生まれてきていると考えられます。
 
この場合「何故、悪いことをするのか」という大人の側の論理があるように、「悪いとは解かっていても、あえてしなければならない子どもの心を解かってほしい」という子どもの論理もあり、このギャップを埋めていくのが理解です。
 
理解というのは、相手の立場を完全に解かり合う場合だけを云ありません。お互いの考え方の違いを見いだし、その違いを認め合うことが大切で、理解への努力こそ問題解決の鍵になると思います。